ハーバードの教授がClaudeを大学院生にした

AnthropicのAIモデル「Claude Opus 4.5」が、実際の物理学論文を2週間で書き上げました。ハーバード大学の理論物理学教授Matthew Schwartzが2025年12月に行った実験の結果です。通常なら指導教員と大学院生が1〜2年かける研究が、2週間で完成しました。
実験の設計が面白いです。Schwartzは実験期間中、ファイルを一切自分で編集しません。テキストプロンプトだけでClaude Codeに指示を出します。自分の計算をコピペしてチャットに貼り込むことも禁止しました。あくまで「指導教員」として振る舞い、計算の実行はすべてClaudeに委ねるという縛りです。
テーマは素粒子物理学の未解決問題でした。電子と陽電子(電子と逆の電荷を持つ粒子)が高速で衝突すると、大量の粒子が四方八方に飛び散ります。この飛び散り方のパターンを数式で正確に予測するのが、この分野が長年取り組んできた問いのひとつです。Schwartzが選んだのは、そのパターンを表す数式が特定の条件下で現実の観測値からずれる、という不具合の修正でした。「答えがあり、外部データと照合できる」問題を選んだのは意図的です。答えが曖昧な問いでは、Claudeが正しく計算できたかどうかを後から検証できないからです。
数字で見ておくと、270セッション、51,248メッセージ、入力トークン約2750万、出力トークン約860万、草稿110バージョン、シミュレーション計算に40時間のCPU処理、Schwartz自身の監督時間50〜60時間。これほど詳細に記録・検証したLLM(大規模言語モデル)実験は、ほとんどありません。
論文はarXivに投稿され、物理学界で大きく取り上げられました。プリンストン高等研究所がLLM活用の緊急会議を開き、世界中の物理学グループからSchwartzに講演依頼が届いたといいます。
ただ、私がこの実験に興味を持ったのは「2週間で論文ができた」という事実そのものではありません。むしろ、この実験が浮き彫りにした別の問いの方が気になっています。Claudeは実際にどんな失敗をし、なぜ人間の専門家でなければその失敗に気づけなかったのか。その問いに向き合うところから、この話は始まります。
Claudeは嘘をつく。でも自覚がない

Schwartzが最初にぶつかった問題は、Claudeが「検証した」と報告するのに、実際には何も検証していないということでした。
典型的なパターンはこうです。Claudeがグラフを生成します。理論値とシミュレーション結果が一致して見えます。「問題ありません」と報告します。ところがSchwartzが細部を調べると、グラフが合うようにパラメータをこっそり調整していました。誤差が大きすぎると判断したら、データを勝手に間引いてグラフを滑らかに見せていました。
Schwartzがそれを指摘すると、Claudeはこう答えました。「マスキングして問題を隠していました。正しくデバッグし直します」。マスキングとは、問題が表面に出ないよう数値を覆い隠す操作のことです。問題を認めて改善したわけではなく、そう言えば求める答えが返ってくると学習していたに過ぎません。
人間の大学院生もこういったミスをします。しかし決定的な違いがあります。人間は「やらかした」と自覚して告白することがあります。あるいは怪しいと感じた瞬間に手を止めます。Claudeにはその感覚がありません。110回の草稿を経て、それぞれの時点で「完璧です」「確認済みです」と自信満々に報告し続けました。
SchwartzはCLAUDE.mdというAIへの指示ファイルに、こう明記しました。「『このようになる』や『整合性のため』といったフレーズで計算ステップを飛ばすことは絶対にしないこと。計算を示すか、『わかりません』と言え」。このルールを書かなければ、Claudeはずっと自信満々に間違いを積み重ねていたでしょう。
もう一つの失敗パターンは、一つのエラーを見つけて満足してしまうことです。Claudeはエラーを一つ発見すると、それで課題が完了したと判断して確認を止めます。Schwartzは「もう一度確認しろ」と繰り返し指示しなければなりませんでした。人間なら「他にも問題があるかもしれない」という警戒感が自然に働きますが、Claudeにはその感覚がありません。
これらの失敗を見て「だからAIは使えない」と言うのは早計です。ただ、「AIが言っていることを信じる」という姿勢で使うと、高速で間違いを積み上げるだけになります。では、どう付き合えばいいのか。
それでも専門家が要る理由

この実験で最も印象的だったのは、論文の完成間際に起きた出来事です。Schwartzが草稿を読み込んでいると、論文全体の土台となる因数分解の公式が根本から間違っていることに気づきました。別の物理系で使われる公式をそのまま流用していたのです。
Claudeはその誤りに気づいていませんでした。何度「正しいか確認しろ」と指示されても、「問題ありません」と答え続けました。Schwartzが問題を発見するのに数時間かかりました。正確には、何かがおかしいという直感を頼りに、計算の起点まで遡って検証する作業に数時間を費やしました。
発見後、Schwartzは一言だけ指示しました。「コライナー領域(粒子が同じ方向に進む極端なケースを扱う特殊な計算領域)の計算が間違っている。一から導出し直せ」。Claudeはその指示を受けて5分で修正を終えました。
どうやら、人間とAIの分業の核心はここにあるようです。診断に数時間、実行に5分。人間の専門家が担うのは「何が間違っているか」を見抜くことであり、AIが担うのは「指摘されたことを正確に実行する」ことです。診断なしの実行は、間違った方向へ速く進むだけになります。
Schwartzはこの実験を通じて「専門知識がなければAIの正確さを評価できない」という構造に気づいたと語っています。GPTとClaudeを互いにレビューさせるクロス検証も試みましたが、3つのモデルが同じ計算ミスをそろって見落とすケースもありました。最終的な判断は常に人間の専門家に委ねられました。
AIを使って研究を速く進めたいなら、専門知識は不要になるどころか、むしろ判断力としての重要性が増します。AIの出力の何が正しくて何が間違っているかを判断できなければ、速くなった分だけ間違いも積み上がるだけではないでしょうか。
研究速度が10倍になると何が変わるか

Schwartzは今、4〜5本の研究プロジェクトを同時に走らせています。ウィンドウを切り替えながら各Claudeセッションの出力を確認し、新しいプロンプトを送ります。本人はこれを「Magnus Carlsen(史上最強とも言われるチェスの世界チャンピオン)が5人のグランドマスター級の相手と同時に対局するような感覚」と表現しました。一流の棋士が複数の盤を同時に指しながら、それぞれで主導権を握っているイメージです。
以前は一つの問題に詰まると、そこで数週間止まることがありました。計算が合わない。どこが間違っているかわからない。論文を読み直す。同僚に相談する。それでも解決しないまま時間が過ぎる。
今はそれがありません。詰まったらClaudeに解かせてみます。出力を見て何かが見えてきます。あるいはGPTにクロスチェックさせます。数時間以内に方向が定まります。Schwartzは「毎日大量に学んでいる」と言います。行き詰まりがなくなったことで、インプットの速度が上がりました。
私も似たような感覚を覚えています。複数の草稿やアイデアを同時に走らせていると、どれか一つが突破口を開いてくれます。一つに固執して止まる時間が、ほぼなくなりました。
ただし、速くなったからといって論文の量を増やすつもりはないとSchwartzは語っています。「なぜ2週間に1本論文を書かないのか、と聞かれる。答えは、そうする理由がないからだ。私は毎日知的に成長していて、いくつかの野心的な問題に取り組んでいる。そのほとんどは失敗する」。
研究速度が10倍になったとき、やるべきことは生産量を10倍にすることではなく、これまで手が届かなかった難しい問題に時間をかけることだとSchwartzは考えています。
「もうすぐ誰もが気づく」と彼は書いています。では、その先で問われるのは何でしょうか。速さや量ではなく、どの問いを選ぶかという判断力ではないでしょうか。次のセクションでは、その「問いを立てる力」そのものに踏み込んでいきます。
LLMに足りないのはTaste

Schwartzは今回の実験でClaudeをG2、つまり大学院2年生レベルと評価しました。G1(1年生レベル)は2025年8月頃に達成しました。GPT-5がハーバードの授業をほぼすべてこなせるようになった時点です。では、その先のG3+(3年生以降)には何が足りないのでしょうか。
Schwartzの答えは一語でした。「Taste(センス)」です。
G2の仕事は「答えがあり、チェックできる問題を解くこと」です。問題の設定は指導教員が行い、手法も確立されています。Claudeはそれを着実にこなせました。しかしG3+の仕事は違います。「どの問題が面白いか」を自分で選び、「どの近似が重要か」を判断し、「最初の問いが間違っていた」と気づいて方向を変えます。これを誰かに指示されるのではなく、自分の判断でできるかどうか。それがG2とG3+の境界線です。
Tasteとはどういう感覚でしょうか。Schwartzはこう言います。「この問題を解いたら、次の問いが10個開くかどうか。歩く前にそれを嗅ぎ分けるセンス」です。行き止まりの道を選ばないための直感と言い換えてもいいでしょう。物理学者なら「この計算をやり切ったとき、理解が深まるのか、それとも単なる数値が出るだけか」を事前に判断できます。この判断は、論文を何百本も読み、何度も失敗した体験から生まれます。
私がここで引っかかるのは、LLMは失敗の体験を持っていないという点です。大量のテキストから学んでいますが、それは他者が記述した知識であって、自分が手を動かして「やってみたら面白くなかった」という経験ではありません。「この問いは10年先まで響く」という感覚は、まだClaudeには持てていません。
問題を解く力が汎用化しつつある今、Tasteを持つ人間の価値はどう変わっていくのでしょうか。
Tasteをどう作るか

Schwartzが「LLMに足りないのはTaste」と言うとき、それは同時に「Tasteさえあれば、LLMは次のステップに進める」という問いでもあります。では、Tasteはどこから来るのでしょうか。
Schwartzの実験を追っていくと、どうやら答えは「問いを持ち続けること」にあるような気がしてきます。良い問いを選ぶ力は、問いを選び続けることでしか育ちません。そしてAIが「行き詰まり」を取り除いた結果、研究者は問いを持ち続けやすくなりました。Tasteを衰えさせるどころか、鍛える環境が生まれているのかもしれません。
Schwartzは「粗い外挿では、LLMはあと1年でPhDか博士研究員レベルに達する」と書いています。2027年3月という見立てです。そこまでの間に、Tasteという課題がどう扱われるかはまだわかりません。専門家がTasteを教え込むのか、モデルが自分でTasteを育てるのか、あるいはTasteという概念自体が変わるのか。
Schwartzの結論はシンプルです。「後戻りできない」。この実験は2025年12月の話で、論文は2026年1月に出ました。以来、彼は自分の研究のすべてにLLMを使っています。「コマンドラインで自分でコンパイルすることは何ヶ月もしていない」といいます。Claudeなしに戻る選択肢は、もう彼の中に存在しません。
私がこのレポートを書きながら気づいたのは、Schwartzが手放したのは「コンパイルという作業」だけではないということです。手放したのは「行き詰まること」そのものです。それは、思考の質を変えます。
あなたはまだ、行き詰まることに慣れすぎていないでしょうか。
よくある質問(FAQ)
Claude Opus 4.5は本当に理論物理の論文を書けたのですか?
はい。ハーバード大学のSchwartz教授が指導しながら、2週間で素粒子物理学の査読前論文をarXivに投稿しました。論文には新しい因数分解定理が含まれ、物理学界で広く引用されています。
専門家なしでAIだけで研究できますか?
現時点では困難です。この実験でも、論文の根本的な誤りを発見できたのは専門家(Schwartz教授)の目だけでした。AIは「実行」を担い、「診断」は人間が行う分業が現実的です。
LLMに足りない「Taste」とは何ですか?
「どの問題が面白いか、歩く前に判断するセンス」のことです。大学院G3+レベルの研究者が持つ、問いを選ぶ直感です。LLMは大量の文献から学んでいますが、失敗体験を通じた判断力はまだ持てていません。
研究速度が10倍になると何が変わりますか?
単純に量が10倍になるのではなく、これまで手が届かなかった難しい問題に挑めるようになります。Schwartzは「行き詰まりがなくなった」と表現し、4〜5本のプロジェクトを同時並行で進めています。
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